心理学が好きな犬の備忘録

臨床心理士がサブカルチャーから心理学まで好きなことを書いてゆく

鬼滅の刃23巻発売!完結した物語を再考する

 

ついに2020年12月4日(金)、吾峠呼世晴鬼滅の刃』(集英社)の23巻が発売され無事その物語の幕を閉じた。

 

鬼滅の刃 23 (ジャンプコミックスDIGITAL)

鬼滅の刃 23 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

 

社会現象とも言える鬼滅ブームに私達はどのように向き合い、どのようにこの物語に没入してきたのだろうか。もしくは今もなお、カウンターの如く鬼滅ブームに対抗し一度としてこの作品に触れずに今日を迎えた読者もきっといるだろう。そのような読者にこそこの記事は読んで頂きたい。いずれにせよ、私達はこの完結した物語を「考え」なければならない。

なぜ「今」この物語は私達に受け入れられたのか。そして、「未来」にこの作品はどのように語り継がれていくのだろうか。

時を遡ること、1995年。庵野秀明監督『新世紀エヴァンゲリオン』が社会現象となったのはその背景としてカルト化した宗教団体の登場により緊迫した社会情勢、アニメ作中の随所に見られる宗教的な不穏な雰囲気、普遍的な主人公が他者に認められていくストーリーなど様々な要素が相まって世の中がエヴァの行く末に夢中となった。

そして再び現在。鬼滅の刃が流行った時代背景に着目しよう。新型コロナウイルス感染症の流行の中、かつて無い世界規模の危機に直面した。否、現在進行系で直面している。これは95年の日本の緊迫した状況に近い雰囲気を感じる。社会の不穏さを払拭すべく、私達はサブカルチャーにその鬱屈とした行き場のない不安や孤独感を投影させていくのではないだろうか。

 

 

しかしながら鬼滅の刃が流行っていく過程をエヴァが流行っていく過程と同様に語ることはできない。何故なら、波及していった層に違いがあるからだ。鬼滅の刃は幼稚園児や小学校低学年の児童にも愛される作品として、家族全員で楽しむ娯楽となった。学童保育の現場においても鬼滅ブームは凄まじく、折り紙で大量のキャラクターが作られり塗り絵で大量のキャラクターが塗られたりととにかく鬼滅だけで乗り越えてきた。(なんだそれ)これは、これまでの社会現象となった作品の中でもかなり珍しいものではないだろうか。かっこいいキャラクターがかっこいい技を繰り出し、凶悪な敵が立ちはだかる。これだけを見たら勧善懲悪の非常にわかりやすい物語で子どもたちにウケるのも納得である。しかし、これが我々大人にもウケた。しかも日本中で。家族全体で鬼滅にハマった。これが鬼滅ブームの最大のポイントだ。

勧善懲悪の物語でありながら、敵である鬼には鬼になってしまった理由があり敵こそが救済されるべき悲しみを背負った対象なのである。作中においても、鬼の過去が描かれる。そのようにして敵と認識する対象が本当に敵なのか、私達は深く考えさせられる余地が与えられる。このような繊細な描写の節々が大人の読者層を掴んだのかと予想できる。当然私もその一人だ。

 

 

最終巻に至るまで多くの犠牲者を出しながら炭治郎は戦い続けた。柱という超えられない壁をいつしか超えながら長きに渡る戦いを終えた。

長い夜にも必ず夜明けがくるように、長い戦いもいつか終わる。これは私達の社会に通ずるものを感じる。きっとくる明るい明日への期待を抱くことは私達の権利であり、希望なのだ。

これからの未来、2020年という時代を語る際に新型コロナウイルス感染症と合わせて鬼滅の刃ブームは語られるであろうワードだと思う。そして、鬼滅の刃はいつ読んでも考えさせられるメッセージ性を含んでいる。

今幼稚園児や小学生の子ども達が将来大人になり、家族を作り新しい生命が芽生えたその先にこの作品が語り継がれていくのだろうか。だとするならばそれは作中の結末ともリンクするので面白い。きっと、数年後読み返しても感情移入できる対象が変わっているかもしれない。

この作品の商業的な成功はさておき、私達の個々の人生においても作中のキャラクターが魅せる生き方は、価値観は影響を与えるものだったと言えるだろう。物語が完結し、我々は一旦現実に還る。だがしかし、炭治郎の(ここにはそれぞれの推しの名前を挿入)生き様は私達の記憶に脳裏に焼き付けられた。どんな困難も彼ら彼女らの生き様を想起することで乗り越えていけるのではないか。

そんな、お守りとしての側面が鬼滅の刃という攻撃的なタイトルには反して内包されているように感じた。

 

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