HSPとは? 臨床心理士がnoteで思うコトを書いてみたら思いのほか反響があったというハナシ
心理学が好きな犬です。
はてなブログでは、音楽やら映画やら好きなことを不定期でダラダラと語りまくっているのですが、いつも読んでくださる皆様ありがとうございます。
こちらでは好きなことをダラダラ語るだけなんですけど、noteでは割と真面目に活動しています!(自分で言うなよ)
最近はHSPに関する投稿が割と反響あって、多くの方に読んでもらえていますので、はてなブログでも紹介させてください!
HSPという言葉が一人歩きしているので、そこに「ちょっと待って?」と臨床心理士・公認心理師の立場から考えていく記事です。
この投稿には多くのコメントが寄せられて、考えさせられました。
第二回では、そこに群がる胡散臭いビジネスに対する「それってどうなの?」と、しっかり叩いていくスタイルです。
医学的な診断過程を経て、HSP・HSCと認められるものではないのにも関わらずなぜこのように自分をHSPだとカテゴライズする人々は増えていくのでしょうか?
自分がHSPであると認識する以前からどこか生きづらさを抱えていて、そのコトバによってカテゴライズすることで納得し安心する方々も多いようです。
私たちは皆、繊細であり、鈍感であり、不器用であり、几帳面である。
様々な状況、環境によって自分を演じ分け生きる社会において、果たしてHSPというカテゴライズは適切なのでしょうか?
勿論、HSPを自称する人々を否定するつもりもなければ、HSPが普及することを肯定するわけでもない。
社会におけるニーズがそこにあるから流行する。そのニーズについてを扱い、考えていくことで移り変わる社会の病理性であったり今後私たちシンリシに求められるものが何かつかめるのではないでしょうか?
第三回では、コロナ禍における他者への配慮という視点からHSPの普及を考えています。
また、その自己診断を社会に、日常にどのように活かしていくかという視点においても思うことを書いています。
HSPという言葉や、性質上それは=生きづらさではありません。
しかしながら、繊細さというのは諸刃の剣でその感受性の高さ故に環境からの影響を受けやすいのです。
このブログや、noteではHSPに関わらず様々な生きづらさや日常のストレスへの対処法などを提示、考えていきたいと思います。フォロー・読者登録・ブックマークよろしくお願いします!
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