ラブリーサマーちゃん「THE THIRD SUMMER OF LOVE」を聴いて
本日、2020年9月16日(水)ラブリーサマーちゃんの新譜、「THE THIRD SUMMER OF LOVE」が発売された。
ところでこのブログを読む多くの方々はラブリーサマーちゃんをご存知だろうか?
私がラブリーサマーちゃんを意識し、聴き始めたのは2014年頃。
すでに私の人生の5年間はラブリーサマーちゃんと共に過ごしてきたわけだ。
(ちなみに今夜はブギー・バックのカバーがめちゃくちゃ好きだった)
あの頃、2014年はTwitterを中心とするインターネットと音楽が交わり特有のコミュニティを形成し、そこで拡散されていく中で偶発的に出会いを果たした。2014年、インターネットと音楽については今後ブログ記事で書いていこうと思う。
5年という月日、人によって長いと感じれば短いと感じる人もいるだろう。私自身環境も大きく変わった。様々な変化を経て今に至る。
それはラブリーサマーちゃんにとっても同様のことで、この5年という歳月を経て放たれたこのアルバムは非常に魅力的で、これまでにないラブサマの片鱗も垣間見えた。
ちょっとダウナーに歌い上げる曲は彼女のルーツである、the brilliant green(ザ・ブリリアント・グリーン)らしさもどこか感じるのだけれども、ブリグリっぽいに留まらずラブサマ節で自分の曲としてしっかり昇華しているのだ。
それは、その若さで年代に問わず多くの邦楽から洋楽を聴く彼女だからこそ成せる業とでもいうべきか。
アルバム全体を通してその音圧に圧倒される。ラブリーサマーちゃんの繊細な声、ボーカルをしっかりとギターが、ドラムが、ベースが支えている。
「ライブで聴きたい、感じたい」それがこのアルバムを通しで聴いた感想として集約されるだろう。
私がこのアルバムで特に印象深く聴いたのは「ヒーローズをうたって」だった。
ヒーローズといえばそう、デヴィッド・ボウイだ。
100円のイヤホンで聴く音楽なんてその魅力を最大限に発揮できていないものなのだけど、思い出の中のそれは全然そんなことなくて、懐かしい景色と共にそれは思い出として美化されているものなのだ。
ラブリーサマーちゃんはこれからも音楽を続けていく、その決意表明を爽やかに歌い上げた一曲だと私は感じた。のだが、それじゃ真面目すぎて気恥ずかしいので最後は笑いを届けてくれるのがラブリーサマーちゃんのいいところ。
そう、このアルバムには隠しトラック的な演出が施されている。
#ラブリーミュージックのMy Sweet Chocolate Baby!!を彷彿とさせるセルフオマージュ的その曲、その演出にさすがラブサマ!とニヤニヤが止まらないところでアルバムは終わる。
隠しトラックの醍醐味はやはり円盤を再生することにある。今、ストリーミング配信の時代の中で、それでも音楽はCDを聴いて感じるものだという彼女なりのメッセージ性もどこかにあるのではないだろか。
実際にそのCDのジャケットや装丁を手に取り楽しみながら音楽を聴く、それが今薄れつつあるからこそ、今一度そういった楽しみに浸ってみるのはどうだろうか?
このアルバムを聴き終わり、放心状態になった。
音楽は素晴らしいものだし、これからも自分にとって音楽はかけがえのないものであり、そう思えるのはラブリーサマーちゃんの存在も大きい。これからもラブリーサマーちゃんの曲と共に歩んでいきたい。